榊原平 / Taira Sakakibaraのブログ

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おぢいさんのランプ 1942年新美南吉作

安城 新美南吉と女学生らの像の桜も満開に
安城 新美南吉と女学生らの像

おぢいさんのランプ 新美南吉  (1942年)

おぢいさんのランプ』は「ごんぎつね」で著名な童話作家新美南吉の作品

「文明開化」という掛け声が聞こえて来たころ、まだ已之助の村の夜には灯りがなかった。初めて訪れた町で已之助はランプを見つける。持ち帰ったランプは夜の闇を明るく照らした。始めは新しいものに抵抗のあった村人たちも、やがて受けいれるようになり、巳之助はランプの商いで身を立てることに成功した。しかし町では電柱が立てられ、電灯という新しく明るい灯りがランプに代わり始めていた……

『 おぢいさんのランプ 』あらすじ

 東一少年が友達とかくれんぼをしているときに、蔵の中でランプを見つける。その形を面白がった彼は蔵からランプを持ち出し、友達と見入っていたところ、おじいさんから「子供は何でも持ち出しおる!電信柱でも何でも、遊ぶものはいくらでもあるだろう!」と叱られてしまう。やがて日が暮れた。東一が家の中で、昼間に見つけたランプをこっそりといじっていたところ、おじいさんがやってきて自身の一代記を語りはじめる。

 五十年ほど前、時は明治の終わり頃。岩滑新田(やなべしんでん。現・半田市)の村に巳之助という少年がいた。彼は両親も親戚もいない、全くの孤児だった。そんな彼は子守でも米搗きでも何でも村の雑用をこなし、何とか村に置いてもらっていた。ある日、人力車牽きの手伝いを頼まれて、生まれて以来、離れたことがない村を出て大野(現・常滑市)の町に行った巳之助は、そこで初めてランプという物を知る。その明るさに感動した彼は、自分の村も明るくしたいと考え、何とかランプを手に入れて自分の村に持ち込む。そこから徐々に手を広げ、ランプ売りとして生計を立てるようになった。 

 ある日、売り文句で「畳の上に新聞をおいて読める」と言いながら、自分が文盲であることを恥じた彼は、区長さんの納屋を借りて住んでいた縁から区長さんに字を教えてもらい、書物を読むことを覚える。

 ランプ屋として成功した彼は家を建て、妻を娶る。やがて子どもも生まれ、幸せの絶頂だった。ところが、ある日、大野の町に行った巳之助は電気を知り、ランプを上回る電灯の存在に驚き恐れを抱く。いつしか村にも電気を引くという話が持ち上がる。電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまうだろう。ランプに生活をかける巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。彼は逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた区長さんの家に火を放とうとする。しかし、放火しようにも、手元にマッチがなかった。代わりに持ってきた火打石ではなかなか火が起こせず、苛立った彼は、「古くさい物は、いざというとき役に立たねえ」と悪態をつく。 

 その瞬間、彼は自身の誤りを悟る。今やランプも古臭いものだ。これに執着して、逆恨みで火を放つなど人の道に反することだ。彼は家に引き返すと、家にあるすべての売り物のランプに灯油を注ぎ、商売用の車に下げて持ち出す。そして五十個ほどあった全てのランプを池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、泣きながら石を投げつけ、その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった。そして彼はランプ屋を廃業し、町に出て本屋をはじめた。東一が蔵で見つけたのは唯一残った置きランプだった。

 東一の祖父である巳之助は、東一にこう諭して結ぶ。「わしの商売のやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなか立派だったと思うよ。わしのやり方は少し馬鹿だったが」「・・・それでも世の中が進歩して自分の商売が役に立たなくなったらすっぱりそいつを捨てて、昔にすがりついたり時代を恨んだりしてはいけないんだ」           (おしまい)

新美南吉 『おぢいさんのランプ』 ウォールペイント 安城駅すぐそば
南吉ウォールペイント 新美南吉 『おぢいさんのランプ』 安城駅 南口でてすぐそば

モーニング ろくえん市民会館店 2021年2月16日
モーニング ろくえん市民会館店 2021年2月16日

JR安城駅 の  ペデストリアンデッキ の 天球儀
JR安城駅ペデストリアンデッキ の 天球儀

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